表紙商品のご案内久保田朝日酒造の想い

朝日酒造の想い

新潟を、新潟の酒を、全国のお客様に伝えたい。~二人を結びつけた想い~

1980年代初頭、新潟県醸造試験場長であった嶋悌司(後の朝日酒造工場長)は、いかにすれば、全国の名だたる蔵元と伍して、新潟の清酒を全国のお客様から支持していただけるように出来るかと思いをめぐらせていました。その頃すでに新潟県の蔵元でも“幻の酒”と人気を集める高品質な商品がありましたが、「幻」だけあって常に品薄であり、なかなかお客様にその姿を見せるまでには至っていなかったようでした。嶋は、高品質な酒を「幻」にならないほどに供給することが、全国のお客様に新潟清酒の良さをご理解いただける道と考えるようになっていました。

時を同じくして、弊社四代目社長の平澤亨(現会長)は、「量ではなく質で勝負する時代」の到来を感じており自社商品の革新的品質向上の必要性を感じておりました。また、その品質を裏打ちする新潟の良さまでをも発信してゆく必要性を感じておりました。それ以前の弊社は、清酒を取り巻く様々な統制が撤廃される中、シェア拡大を目指しておりました。その流れのなかで、幣社商品は次第に「量産酒」として市場に埋没し、徐々にお客様からの支持も頭打ちとなっていたのです。

「高品質なお酒を全国のお客様に」・・・・ 思いを同じにする二人が、出会うのは自明ともいえました。嶋悌司場長を幣社に招聘し、二人の出会いは高品質な酒造りへと突き進んでゆくことになりました。

創業当時の屋号を冠した「久保田」
久保田の発売年
1985(昭和60)年 久保田 千寿(せんじゅ)、久保田 百寿(ひゃくじゅ)
1986(昭和61)年 久保田 萬寿(まんじゅ)
1987(昭和62)年 久保田 翠寿(すいじゅ)
1988(昭和63)年 久保田 碧寿(へきじゅ)
1993(平成05)年 久保田 紅寿(こうじゅ)
2010(平成22)年 久保田 生原酒(なまげんしゅ)

どんなに、高品質なお酒を造ったとしても、それがお客様に伝わり、理解していただかなくては、商品へのご支持はいただけません。全国に向けたテレビCMなど、地方メーカーの私どもには出来るはずもなく、どのようにお客様に商品の価値をお伝えするかが大きな課題でありました。
行き着いた答えは、単純明快なものでした。幣社と考えを一にしてくださる酒屋さんに、店頭でのコミュニケーションの中で、品質の良さ、越路の環境の良さをしっかりとご説明いただく。ただそれだけを徹底的にやり続けるということでした。

そこで、当時地酒の販売において先進的な取り組みをされていた酒屋さんにご協力いただき、幣社と考えを一にしていただける、”仲間”としてのお付き合いが出来る酒屋さんを少しづつ増やしてゆき、久保田は船出をしたのでした。

小売店とメーカーという枠を超えた仲間。~酒屋さんとともにお客様に価値をお伝えする~

Side Story

酒質~なぜ淡麗辛口を目指したか~

1984年に、新潟県醸造試験場の嶋悌司場長を弊社の工場長として迎えました。久保田の開発にあたり、まずは世の中の嗜好の変化を考慮しました。農業や工業関係に従事する肉体労働の仕事では、甘く強い酒が好まれる傾向があります。しかし、肉体労働から頭脳労働へと仕事の質が変わりつつあった時代では、こってりしたものよりも、すっきり飲める、飲み飽きしない淡麗な酒が好まれると予見し、開発当初は首都圏の方々に好まれる酒を造ることにしました。発売前のタンクには「東京X」と仮称を書いたほどです。

淡麗な酒にするためには、原料米の精米歩合を上げて、じっくりと磨き、麹は吟醸型の突き破精麹をつくり、モロミは低温発酵で、きめの細かい酒造りを行い、久保田は1ランク上をいく酒を目指しました。低カロリー食、減塩食が好まれるようになってきた飽食時代では、酒もこってりしたものではなく、むしろあっさりした酒が時流に合ったようです。そして、更なる酒質の向上に向けた取り組みが続いています。

久保田の顔 ~和紙ラベル~

久保田屋の創業時は久保田の徳利がありましたが、今では徳利で流通させることはできませんので、瓶を使用しています。久保田は原点に返った酒ですので、瓶に貼るラベルにも創業時の品格にふさわしい風情を求めました。高柳町門出の小林康生さんにお願いし、楮を原料とした自然の素材感が滲み出るような、素朴なラベルを作っていただきました。重厚感をだすため、2枚漉いたものを一緒に乾燥する二双紙となっています。現在は、小林康生さんの越後門出和紙と小国和紙生産組合で作って頂いています。

久保田は、書家の坂爪叟玄さんに揮毫していただき、格調高いラベルとなっています。化粧箱に書かれた李白の月下獨酌の詩も坂爪さんが揮毫されたものです。